建築基準法 × 脳科学
建築基準法の階段「23cm以下」の理由を脳科学で解説——踏み外しと脳の予測のふしぎな関係
階段を踏み外すのは、うっかりしていたからじゃない。あなたの脳が、正しく動いている証拠だ。——そう言ったら信じますか?
実は日本の法律では、階段1段の高さを「23cm以下」と決めています。「建築基準法施行令第23条」という法律です。でも「なぜ23cmなの?」と聞かれて答えられる人はほとんどいません。
この記事では、毎日何気なく使っている「階段」を入口にして、法律の数字の裏に隠された、人間の脳のクセを解き明かします。
図解:階段の各部名称と法定寸法
建築基準法施行令第23条に基づく住宅階段の寸法基準。快適性の推奨値は住宅品質確保促進法ガイドラインによる。
法律で決まっている「階段の寸法」
日本の建築基準法では、家の階段の大きさをこう決めています。
建築基準法施行令 第23条(住宅の階段)
・蹴上げ(1段の高さ):23cm以下
・踏面(1段の奥行き):15cm以上
・階段の幅:75cm以上
さらに、国が定める住宅の安全基準(住宅品質確保促進法)では、特に安全な階段として蹴上げ18cm以下、踏面24cm以上が推奨されています。一般的な目安として、蹴上げ18〜20cm・踏面22〜24cmが「歩きやすい階段」の基準として広く使われています。
「なぜ23cmなの?」「なぜ15cm以上なの?」——法律の文章を読んでも理由は書いていません。ここから脳の話になります。
脳は「次の段の高さ」を先読みしている
階段を上り下りするとき、いちいち「次の段は何センチかな」と考えていませんよね。これは「体の記憶」(手続き記憶)と呼ばれる脳の仕組みのおかげです。何度も繰り返した動きは脳の深いところ(小脳や基底核という部分)に自動的に記録されて、考えなくても体が勝手に動くようになります。自転車の乗り方を一度覚えたら忘れないのと同じです(Squire, 2004)。
「踏み外す」のは、脳がバグったわけじゃない。脳の「予測」が、階段の変化についていけなかっただけだ。
階段を歩くとき、脳は「次の段もいつもと同じ高さのはず」と予測して、足を動かす指令を先に出しています。問題は、この予測が外れたとき。段の高さが急に変わったり、いつもと違う高さだったりすると、足が空を切ったりつまずいたりします。これが「踏み外し」の正体です。
消費者庁のデータによると、家の中での転落・転倒事故で階段が絡むケースはとても多く、「段の高さがバラバラ」「高すぎる段差」がよく原因として挙げられています。脳の仕組みから考えると、23cm以下という数字は、脳の「体の記憶」がうまく働ける高さの上限に近い値として説明できます。ただし、法律を作るときにこの脳科学の考え方が直接の根拠として書かれているわけではなく、ここでは筆者による解釈としてお伝えします。
脳は「動く前に」もう指令を出している
もう少し脳の話を続けましょう。体の動きをコントロールする方法には、大きく2種類あります。
🔄 動きながら修正するタイプ
動いた結果を感じながら、リアルタイムで修正する。転びそうになったとき、とっさに手をつく動きがこれ。
⚡ 先読みして動くタイプ
「次はこうなるはず」と予測して、動く前から指令を出す。階段の上り下りは主にこっち。
「先読みして動くタイプ」がうまく機能するには、階段の段の高さが全部同じであることが必要です。法律では「同じ階段の中では、全部の段を同じ高さにすること」と決められています(建築基準法施行令第23条第2項)。条文上は安全のための施工ルールですが、脳科学の視点から読むと「脳の先読み機能を正しく動かすため」とも説明できます。これは筆者による解釈であり、法律の公式な根拠として書かれているものではありません。
足を置く部分の広さにも、ちゃんと理由がある
踏面(足を置く部分の奥行き)が「15cm以上」と決まっているのにも理由があります。人間の歩くという動作は、脳や脊髄が自動的にリズムを作り出して動かしているものです(Grillner, 2006)。このリズムが乱れると、転びやすくなることがわかっています。
大人の自然な歩幅はだいたい60〜75cmといわれています。踏面が10cmくらいと極端に狭いと、足がうまく乗らないだけでなく、この歩くリズム自体が乱れてしまいます。反対に広すぎると、1歩1歩が間延びしてリズムが崩れます。15〜24cm程度の踏面は、脳が作る歩くリズムと足の大きさの両方にちょうど合っている幅として説明できます。
法律の数字を「脳の視点」で読むと見えてくること
建築基準法の条文を心理学や脳科学の視点で読むと、数字の背後に「人間がどんなときに失敗するか」という研究の積み重ねが透けて見えてきます。
たとえば「段の高さを全部そろえなさい」というルールは、単なる工事の精度管理ではありません。脳が「環境を覚えて動く」という性質を前提にした、いわば脳にやさしい安全ルールです。子ども・お年寄り・疲れているとき、どんな状態でも脳の先読み機能がうまく働けるよう配慮されていると読み取ることができます。
こういう視点で法律を読むと、建築基準法は難しいルール集ではなく、人間の行動や失敗のパターンを集めた「人間観察の教科書」のように見えてきます。「なぜこの数字なの?」と問い続けることが、法律の本質を理解する一番の近道です。
まとめ:法律の数字は、人間の脳のクセでできている
この記事のポイント
・段の高さ(23cm以下)のルールは転落事故のデータと一致しており、脳の「体の記憶」と先読み機能の観点からも説明できる
・「全部の段を同じ高さに」というルールは、脳の先読み機能が安定して働くためと解釈できる
・足を置く部分(15cm以上)のルールは、脳が作る歩くリズムと足の大きさの両方に合った幅を確保するためと解釈できる
・法律と脳科学のつながりは筆者による解釈であり、事実と解釈を区別して読むことが大切
建築基準法の数字は「お役所が決めた決まりごと」ではなく、長い時間をかけて人間の動きや失敗のパターンに合わせて磨かれてきた知恵の結晶です。「なぜこの数字なの?」と問える人は、法律の本質を伝える力が格段に変わります。
参考・根拠資料
・建築基準法施行令 第23条(国土交通省)
・住宅品質確保促進法に基づく住宅性能表示制度 高齢者等配慮対策等級(国土交通省)
・消費者庁 事故情報データバンク「高齢者の家庭内事故」関連統計
・Wolpert, D.M. & Kawato, M.(1998)”Multiple paired forward and inverse models for motor control.” Neural Networks 11(7-8)※運動制御理論の文脈。階段歩行への応用は著者による解釈。
・Grillner, S.(2006)”Biological Pattern Generation: The Cellular and Computational Logic of Networks in Motion.” Neuron 52(5)
・Squire, L.R.(2004)”Memory systems of the brain: A brief history and current perspective.” Neurobiology of Learning and Memory 82(3)
・中村隆一・齋藤宏・長崎浩(2005)『基礎運動学 第6版』医歯薬出版
・本記事における法律と神経科学の接続は、著者による学際的解釈を含みます。
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次回は「採光規定とセロトニン」の話
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次回は「窓の大きさが法律で決まっている理由——採光規定と睡眠ホルモンの関係」を予定。
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